愛甲は2005年までの何年か、仕事で愛知県の一宮市に住んでいました。アパレル関係の仕事で、その関係でよく中国に出張に行っていたようです。僕も既に愛知県に住んでいましたのでその時期は頻繁に会っていました。(そのころの写真もあるはずですが…出てきたらまた投稿します)その後、愛甲は熊本に戻ったのですが、その後も、球磨村・東京に次ぐ「第3の故郷」愛知にもたびたび訪れていました。その時の写真をまとめて投稿します。
2012年。
ひょっとしたら愛甲が愛知県に来たのは熊本に戻ってから初めてかも。この時、愛甲は1人で懐かしの一宮を巡って一泊するということで、翌日1日だけ落ち合って、スタジオでセッションし、三重県の長島あたりまでドライブして空港に送りました。
続いて2014年。
この時も確か愛甲は1日は一宮を訪れ、翌日僕とスタジオに入り(撮ってなかったのか、その時の写真は見当たりませんが)、夕方、名古屋の昔ながらの商店街「大須」に行き、織田信長の菩提寺の万松寺などを巡ったあと、名古屋名物ひつまぶしを食べるという、わりとベタなルートで名古屋を巡りました。その後愛甲は熊本へ帰るため名古屋駅まで送ったのですが、交通手段は何と夜行バス。一体何時間かかるのか…体力あるなあ、と感心しました。
2015年。
この年、愛甲は1月と6月、愛知に来ました。1月には神戸出張があったとのことで、そのついでに愛知県まで足を延ばしてくれ、セッション後、僕の実家(名古屋市と、瀬戸物と将棋の藤井君で有名な瀬戸氏に挟まれた尾張旭市というところです)に泊まりました。当時、実家のすぐ近くで僕の両親が喫茶店を経営していて、そこにも寄ってくれました。なぜかウチの両親との3ショットもありますが、父もその後、怪我をして施設に入ってしまい、今では貴重な写真となりました。その後、岐阜の郡上八幡を訪ねました。一宮に住んでいたころ、愛甲は飛騨地方には度々訪れていたようで懐かしそうな表情を浮かべていました。6月は短時間でしたがまたスタジオに入りセッションしたのですが、僕が譜面台に置いていたiPadに愛甲のベースが当たって落下、壊れてしましました。こういう時の愛甲は本当に申し訳なさそうで消え入るような声で何度も謝っていました。譜面台に乗せる僕も悪いのだからそんなに謝らなくてもいいのに・・・
セッション時のツーショットはセルフタイマーですか?
愛知県は、主人の故郷(小学校低学年で福岡に移り住みました)で、
数年前、義母の住んでいた家を訪れました。
主人の記憶の中にある名古屋おでん
実際食べに行きました。島正という有名なお店です。
誓史と特に親しくなってから、頻繁に我が家で誓史の話題が上がり、
なぜか私は”愛甲誓史”とフルネームで呼んでいたため、
主人はすぐ彼の名前を覚えました。
誓史も主人に会いたがっていたため、今度のお盆あたり一緒に食事でも行くのだろうな。。。
などと想像していましたが、、、
主人も毎日のようにギターの練習をしています。
どんな音楽の話をしたんだろうなぁ。。。